第3回 謝珠栄〈振付家、演出家、TSミュージカルファンデーション主宰〉
演劇人インタビュー第3回は振付家、演出家、そしてTSミュージカルファンデーションを主宰する謝珠栄さん。
幼少期や宝塚との出会い、振付家としての活躍、そしてオリジナル・ミュージカルのプロデュースまで。多彩な活躍を続ける彼女の原動力とは。そしてこれからのミュージカル界と次世代への想いとは。情熱と愛にあふれたインタビューをお届けする。
謝珠栄(しゃたまえ)
振付家、演出家、TSミュージカルファンデーション主宰。大阪府出身。宝塚歌劇団に入団。退団後はニューヨークに留学し、帰国後は振付家として様々な劇団、演出家と組む。“演劇的な踊り”は高く評価され、その振付は演劇界に衝撃を与えた。またオリジナル・ミュージカルを企画、制作するTSミュージカルファンデーションを設立し、近年は東京と大阪で若手の育成にも尽力している。第43回芸術選奨文部大臣賞新人賞、第16回読売演劇大賞最優秀スタッフ賞、第34回松尾芸能賞ほか受賞歴多数。
舞台、宝塚との出会い
―幼少期からバレエや日舞に親しまれていたそうですが、何故宝塚を受験されたのでしょうか。
「私は関西の出身で、母が私に日本の文化を身につけた女の子にしたい、私が中国人の父を持ち、中国の国籍を持っているということで文化を知らないと馬鹿にされたくない、と6歳から日本舞踊やお習字、絵、そしてお琴を習わせてもらっていました。あと幼稚園のときに主役をやらせてもらったことで演劇的なこと、舞台で演じるということに目覚めたのかな。反対に自分から習いたいと言い出したのがバレエとジャズダンスでした。当時はまだジャズダンスは日本に入ってきたばかりで、今のようにジャズダンス教室がなかった中、一生懸命探して自分で山田卓先生のところへ習いに行ったらたくさん宝塚歌劇団の方がいたの。そのとき学生タレントとしてチームを組んでテレビに出させてもらっていたけど、映像の世界は違うなと思って・・・。舞台ならどんなものだろうと観に行ったのが宝塚の「ウエストサイドストーリー」でした。もう格好良かったですよ、皆さん。凄い訓練を受けてやってらっしゃって、女の子なのに2メートルのフェンスを跳び越えて、「女性なのにこんなことできるんだ」と思いました。その次の翌年に宝塚を受けて、宝塚に入学をしたんです。」
―宝塚音楽学校を主席で卒業後、宝塚歌劇団に入団されます。
「(音楽学校では)舞台に必要な実技は全部やりました。12科目ありますから。そういういろんな芸事を教えてもらった宝塚での経験が根底にあるから、振付を頼まれても演出家に言われることに全て応えられた。劇団に入ったらタイの話ならタイの舞踊をやるし、スパニッシュもやったし。そういう様々な国の舞踊や文化を知ったことが自分の引き出しに入っています。」
―宝塚歌劇団を退団された後はニューヨークへ留学に。そのときには既に振付家になろうと?
「いえいえ。退団したときは外国に留学して実業家になりたかったの。ファッション関係や室内インテリアの仕事がしたくて、ファッションの学校とニューヨーク大学で英語の勉強をしていたのだけれど、極度のホームシックにかかってしまって一旦大阪に帰ったときに、友人に子どもにダンスを教えてくれと頼まれて。そこで母が山田卓先生に電話をしたら卓先生が東京でNHKの「歌のグランドショー」の振付助手を探していたところだったから、ちょっと東京でそういうお勉強をしてから教えたらどうだ、と。東京に上京して先生に最初に頂いた仕事が劇団四季の講師とNHKの「歌のグランドショー」でした。それから二期会のオペラの方が「マイフェアレディ」をやるので振付をやってくださいませんか、と私のところにいらっしゃって、やったことないけどやってみようか、と言ったのが振付の最初。」