第2回 岡室 美奈子〈早稲田大学 文学学術院教授/坪内博士記念演劇博物館館長〉
演劇人インタビュー第2回は早稲田大学文学学術院教授/坪内博士記念演劇博物館館長 岡室 美奈子さん。
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研究者として、教育者として、そして演劇博物館館長として。さまざまな視点から見たいまの日本演劇界と、想像力とはなにか、他者を思いやる気持ちを育むためには何が必要か。演劇という枠にとどまらないあれこれを語っていただいた。
岡室 美奈子(おかむろ みなこ)
早稲田大学 文学学術院教授/坪内博士記念演劇博物館館長。2007年より早稲田大学文化構想学部教授。2013年より早稲田大学坪内博士記念演劇博物館第八代館長。優れた放送作品に与えられるギャラクシー賞のテレビ部門選考委員も務める。サミュエル・ベケットやテレビドラマ、現代演劇などを研究対象としている。
著書に『六〇年代演劇再考』(共著:梅山いつき、水声社、2013年)など。2016年9月に『日本戯曲大辞典』(共著:大笹吉雄、神山彰、扇田昭彦)が白水社より刊行予定。
「テレビっ子」から演劇少女へ
―演劇活動に取り組むようになった理由は。
小さいころから本当にテレビを観ることが好きだったんです。俳優さんの名前なんかもすごくよく知っていました。テレビを通して「演じる」ということに興味を持つようになったことが、自ら演劇をやるようになったきっかけですね。
―高校生の時に演劇部に入部してからはどのような活動を。
高校1年生の時に担任の先生に勧められた別役実さんの作品に大きな感銘を受け、自分たちでも別役さんの作品をよくやりました。不条理劇みたいなものに触れたことがなかったのでものすごく新鮮に感じて。『マッチ売りの少女』のような初期の作品ですね。部長だったこともあって、誰もやりたがらない演出を中心にやっていました(笑)
―その後大学でも演劇活動を続けた。
最初はもともとあった劇団に入ったんだけど、そこでやっていた作品があまり好きじゃなくて。そこで自分たちで劇団を立ち上げて活動するようになりました。そこでも別役さんの作品を主にやっていましたね。大学では演出も役者も照明も…いろんなことをやりました。 そのなかでも特に役者が楽しかったです。高校時代あまり役者をできなかったこともあったので。
―高校・大学時代には観劇の習慣は。
高校時代は田舎にいたので観ていないですね。その分大学時代は年間100本くらい観ました。わたしが大学生の頃は60年代に流行ったアングラ演劇がまだ残っていたんです。唐十郎さんの状況劇場とか、寺山修司もまだ生きていた頃なので。大学時代にそういったものにすごく強烈な洗礼を受けました。
―どういった作品を好んで観ていましたか。
大学時代は京都にいてそれほど選択肢が多くなかったので、とにかく観られるものはなんでも観ました。小劇場も新劇もアングラも… ジャンルを問わず多くの作品を観たことは、いますごく財産になっていると感じます。文学座アトリエで別役さんの作品を観るために夜行バスで東京に出かけたこともありました。マチネ、ソワレを観てまた京都に帰るという… 若かったからできたことですね(笑)
―大学卒業後、研究の道に進まれた理由は。
演劇研究者の多くは演劇をやっていたけれど才能がなかった人たちですね(笑) わたしなんかも演劇やっていたけど全く才能がなく、それでも演劇に関わりたいという思いがあって。もともと戯曲を読んだり分析したりすることが好きだったというのと、学部時代に出会ったサミュエル・ベケットという作家をもっと深く掘り下げたいということが研究の道に進んだ理由です。
―サミュエル・ベケットの新訳本を出版されるということですが、訳にあたって意識されていることは。
格調低さですね(笑) いま出回っている安堂信也先生と高橋康也先生の訳は素晴らしい訳なんですけど品が良すぎるのと、不条理劇が理解されなかった時代なので訳が抽象的で難しい。基本的に演劇の訳は時代に合わせた使い捨てでいいと考えているので、いま読んでおもしろい訳にできるように意識しています。
演劇の作り手から研究者へ
―演劇研究の道に進んだいま、役者や演出をしていた経験は活きていると思いますか。
役に立っていると思います。わたしが研究しているベケットも日本では不条理劇ということばが独り歩きしていて難解なものだと思われがちですが、役者が身体的に追い詰められたときに虚と実の区別を超えて劇的なものを生む、みたいな役者の生理を前提として書かれているんですよ。そういうことを自分で喋って確かめるということはテキストを分析の対象としているだけでは見えてこないことだと思います。もちろんいろんな研究がありますから必ずしも実践の経験がないといけないわけではないですけどね。
―現代演劇の研究者として感じる演劇界の変化は。
まず、若い演劇人が多く出てくるようになったという印象があります。平田オリザさんの青年団がたくさんの劇作家・演出家を生み出したことが大きいですね。近年の岸田國士戯曲賞受賞者の半分近くが青年団出身ということですし。
その一方で、演劇論を書く人、演劇を理論化する作り手の人が減ったという印象もあります。60年代の演劇人、鈴木忠志さんや唐十郎さん、佐藤信さんなんかは身体の演劇といわれた反面、ものすごく多弁でもあったんですよ。こぞって演劇論を書いていた。最近は演劇を理論化する人があまりいないですよね。自分のやっていることを客観化して再構築するといったプロセスはもっと必要とされていいのではないかと思います。
日本唯一の演劇博物館の館長として
―演劇博物館の具体的な活動内容は。
さまざまな活動を行っています。まず第一に資料の収集・保存と、その公開のための常設展や企画展の展示活動と関連イベントの開催。それから研究拠点としての役割。日本で唯一の演劇博物館ですから全国から研究チームを募っての演劇研究や映像研究の活動があります。他にも地域文化振興や子供向け文化事業、資料の収蔵など多岐にわたる活動をしています。
―来館者を増やすためにしている工夫などは。
一昨年の「サミュエル・ベケット展」から空間デザインを取り入れました。順路の工夫とか、ヘッドマウントディスプレイや超指向性スピーカーなどの最新のテクノロジーを駆使した展示の導入もしています。今後さらに見せ方の研究をして、古典作品をかっこよく見せたりしていけたらと思っています。
―演劇博物館の使命はなんだと考えていますか。
映像分野に関しては様々なところでアーカイブ化がされていたりするけども、特に演劇分野に関しては資料の収集と保存、アーカイブ化、そして公開と共有は演劇博物館が中心となってやるべきことで、ある種の社会的使命があると思っています。今後演劇文化をどうやって保存し後世に伝えていくか、どうやって普及・発展させていくかというのは責任をもって考えていかなくてはならないと思います。
―今後演劇博物館が目指すところは。
以前の演劇博物館は専門家向けの展示をしていたんです。ガラスケースの中に貴重な資料を並べて… でも近年、博物館は文化施設でもあり、社会教育施設でもありコミュニティスポットであるということが大事な要素だと言われていて、演劇博物館も学生や地域の皆様や一般の方がたが集う場所にしていければと思います。以前は興味がある人だけが来る場所だったのが、むしろ演劇に興味のない人にも関心を持ってもらえるような場所にしなくてはと考えています。そうしたことからも、「あゝ新宿展」などは学生にも、地域の人にも、年配の人にも、幅広い年代の人たちに見てほしいということで企画をしました。早稲田大学の文化的な顔としてこれからさらに多くの方に足を運んでいただける施設に出来たらと思います。