『ロマーレ~ロマを生き抜いた女 カルメン~』劇評
「古典作品の解釈の多様性」
古典作品をどう捉えるかは人それぞれだが、本作はその一例を示してくれた。
カルメンとドン・ホセの物語が、老いたホセとカルメンを研究している学者であるジャンが語りながら進んでいくミュージカル『ロマーレ』は、古典作品の捉え方の多様さを教えてくれる作品であった。
カルメンは命を落とすまで誰にも恋をしていなかったと考えていた。夫であるガルシアやローレンス、スニーガに恋をしていないのは一目瞭然であるが、ホセのことも最後まで愛していなかったのではないかと感じていた。指輪を送ったホセに対して、カルメンがロマの女は誰にも縛られたくない、だから指輪はいらないというセリフからも、カルメンは誰のことも愛していなかったのだと考えていた。
ただし、このような視点に変えてみると、合点がいく。カルメンは、自分の生き方を誰かに受け入れて欲しかった。そして、ロマの本質である誰にも縛られたくない、自由に生きたいという考え方をホセは受け入れることができた。ふたりは愛しあえた、というよりも、どちらか一方が支配することなくお互いをひとりの人間として尊重することができる関係になることができたのだ。
しかし本作は、現代に残されたジャンと年老いたホセの考えるカルメンとホセが出てきて幕を閉じた。これは、年老いたホセやジャンは観客と同じ立場であることを示す効果があったと考える。今はもう姿を見ることができないカルメンの姿をあれこれ想像し、研究を重ねているジャンを登場させることで、過去の人物や作品についての解釈の自由さを訴えているのではないだろうか。
キャスティングに関しては、ミスキャストが多かったと感じた。カルメン役の花總まりは歌とダンスでは上手く強い女を表現することができていたが、演技ではいまいち強さを発揮することができていなかった。ホセ役の松下優也は、平凡で堅物そうな人物を上手く演じていたが、嫉妬に狂う演技と歌の弱さが目立った。メインのふたりが魅力的でない舞台は、どれだけ良い演出がされていて、どれだけ周りのキャストの技量が高くても、のめり込むことができない。本作に、よりのめり込むことができるような、よりよりキャストがいたのではないかと考えている。
謝珠栄の演出に関しては、ただのファムファタール(男の運命を狂わせる女の呼称)としてばかり描かれることの多いカルメンを、自分の生き様に誇りを持つ強い人間であることを強調して描いている点が印象的であった。さまざまな男を翻弄する女性という印象の強いカルメンを、少しでも多くの人に受け入れてもらおうという思いが感じられた。
カルメンのような古典作品はこの先も、舞台で上演され続けるであろう。そのたびに新しい解釈がされ上演されると、さらに多くの人々が古典作品を深く考えるきっかけになると考えている。その解釈を受け入れることができても、できなくても、自分の中にはなかった解釈は全て糧となり、作品を観る目がより養われていくのだ。この先も、恐れることなく新しい解釈がふんだんに含まれた舞台が生まれていくこと願っている。(久留原)